2011/05/15

電車の中で読んだ本


 電車の中では集中して本を読むことができるので、知立市までの往復に3冊の本を読みました。

 「社会を変えるを仕事にする」は著者の駒崎さんが社会的ニーズがありながら取り組みの進んでいなかった病児保育に挑まれ、NPO「フローレンス」を立ち上げられて取り組まれる過程が赤裸々に描かれており、補助金に群がる似非コンサルタントや、やる気のない公務員など、身につまされるものがあります。

 また、「溺れる赤ん坊のメタファー」というウェイン・エルウッドが書いた寓話が取り上げられていました。少し引用します。

・・・・・・社会運動に取り組む者が知っておくべき寓話がある。「溺れる赤ん坊のメタファー」である。

それはこんな話だ。
あなたは旅人だ。旅の途中、川に通りかかると、赤ん坊が溺れているのを発見する。あなたは急いで川に飛び込み、必死の思いで赤ん坊を助け出し、岸に戻る。

安心してうろろを振り返ると、なんと、赤ん坊がもう一人、川で溺れている。急いでその赤ん坊も助け出すと、さらに川の向こうで赤ん坊が溺れている。

そのうちあなたは、目の前で溺れている赤ん坊を助け出すことに忙しくなり、川の上流で、一人の男が赤ん坊を次々と川に投げ込んでいることには、まったく気づかない。

これは「問題」と「構造」の関係を示した寓話だ。問題はつねに、それを生み出す構造がある、そして、その構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。・・・・・・・・・・

 本来この寓話はある写真に縁があります。それは「ハゲワシと少女」という写真です。

 写真家ケビン・カーターは、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている「ハゲワシと少女」という写真でピューリッツァー賞を受賞しましたが、そのことが、写真を撮るよりも少女を助けるべきだという大きな批判を浴び、スーダンの飢餓という大きな問題の報道か、目の前の少女の命かという論争になっています。そして、ピューリッツァー賞受賞の1ヶ月後にケビン・カーターは自殺しています。

 ケビン・カーターは内戦が続き情報が閉ざされているスーダンに潜入し、アヨド村で飢えや伝染病で1日に10~15人の子どもが亡くなっていく状況に遭遇するなかで「ハゲワシと少女」の写真を撮影しています。この写真の背景には多くの子ども達の悲惨な死があるのです。そして、ウェイン・エルウッドは、この衝撃的な写真により、社会がようやくスーダンの飢餓に関心を持った状況を寓話にしています。真に社会問題を解決することの難しさを痛感します。



 「平らな国デンマーク」は、デンマークの子育てと教育が中心に書かれています。昨年研修に行ったフィンランドもそうですが、デンマークも日本と教育は大きく違います。日本でいう幼稚園に飛び級も留年もあります。ですから小学校1年生の年齢に幅があり、義務教育は日本と同じ9年間ですが、9年間で卒業できるのは65%だそうです。(さらにフィンランドでは、3%の子供が義務教育を卒業できずに社会に出るとのことでした。)しかし、年齢差による優劣意識はないとのことでした。



 もう1冊「虫庭の宿」、この本は、由布院まちづくりの中心人物の一人、溝口薫平さんの聞き書きです。私は由布院の街づくりには強い関心を持っており、今までに中谷健太郎さんや木谷文弘さんの本を読んでいますし、湯布院にも研修に行かせてもらっています。

 上の写真は、平成21年に玉の湯に宿泊させていただき、1時間ほど溝口さんにお話を聞かせていただいた時の写真です。
 
 本を読んで、改めて湯布院に学ぶことが多くあると感じています。そして、なぜ、昭和30年代には別府の奥のひなびた寂しい温泉地でしかなかった湯布院が、今、あこがれの観光地となっているのかを多くの人に学んで欲しいと思います。